お役立ちコラムColumn
牛と人のあいだに立つ。えみんぐ立ち上げメンバーの想い
株式会社えみんぐが生まれたのは、2021年。
このまちで長く酪農を営んできた家業を背景に、現代表(社長)が「会社組織としての酪農」を形にするために、新たに立ち上げたのが「えみんぐ」です。家業をそのまま法人化したというより、働き方も役割も、仕組みごと“つくり直す”ところから始まった会社でした。
酪農といえば、家業として受け継がれてきた歴史を思い浮かべる人も多いかもしれません。でもここは、“会社組織としての酪農”を、まだ新しい年数のなかで育てている場所です。仕組みをつくり、役割を整え、チームで回していく。言い換えれば、「続けられる働き方」を、牧場の現場で手探りで形にしています。
できたての組織には、完成形がありません。
だからこそ、立ち上げから関わるスタッフの言葉には、きれいごとだけではない体温が宿ります。うまくいかない日もある。思うように伝わらないこともある。それでも、「この場所を、ちゃんと続く形にしたい」という気持ちが、毎日の仕事の奥に残っています。
現場を回す人、田村裕太さん。そして会社を支える山﨑里美さんにお話をお聞きしました。同じ牧場で働きながら、ふたりがいちばん多く語っていたのは、不思議なくらい「牛」よりも「人」のことでした。
現場を“回す”人。田村裕太さんの「戻ってきた」道のり

田村裕太さんは現在37歳。社長の息子さんであり、4人きょうだいの中の次男であり、家庭ではふたりのお子さんの父親でもあります。
田村さんは最初から牧場一筋だったわけではありません。いまの場所へ「戻ってくる」前、北海道を離れて働いていた時期があります。
遡れば、高校から親元を離れ釧路の学校へ。そこで専門的に学んだのは、機械や電気などの分野でした。そのまま次のキャリアに繋げるべく北海道を離れたのち、愛知県で経験したのは車の設計開発。そこで10年ほど技術職としての時間を重ねてきました。
「農業に興味があったかと言われると……ぜんぜん(笑)」
田村さんはそう言って、肩の力を抜くように笑います。いわゆる“強い憧れ”があって飛び込んだというより、暮らしと家族を含めた判断が先にあった。その正直さが、言葉の端々ににじんでいました。
異業種転職、そして移住
愛知県で奥様と出会い結婚し、子どもも生まれ、生活の基盤はできていました。けれど「そこでずっと暮らす前提ではなかった」と田村さんは言います。暮らしの選択肢を考えるなかで浮かんできたのが、北海道の田舎での生活でした。
ただし、“戻る”ことは簡単ではありません。
田村さんが気にしていたのは、働き方でした。
牧場の仕事は、どうしても「365日」に近づきます。家族がいて、自分ひとりの都合で動けるわけではない。だからこそ、「定期的に休める体制があるなら」という条件が大きかったそうです。人を雇い、チームで回していく形があるのであれば、家族の時間も守れるかもしれない。そうした見立てが、移住の背中を押しました。
「知識ゼロで入って、ギャップはありましたか?」
そう聞くと、田村さんは少し考えたあと、意外な答えを返しました。
「思ったほどは、なかったです」
その理由には、ふたつの背景がありました。
ひとつは、もともと実家の手伝いを通して、現場の空気をすでに知っていたこと。もうひとつは、企業で働いてきた経験が、組織の感覚として身体に入っていたことです。上下関係や役割分担、役職ごとの責任…そうした“会社の型”を知っていたから、現場に入っても戸惑いが少なかったと話します。
マネージャーとして「管理」と「現場」が半分ずつ
田村さんの役職はマネージャーです。
仕事は大きく二つに分かれます。ひとつは、メンバーへの仕事の振り分けと管理。もうひとつは、餌やりや畑仕事など、実際に身体を動かす現場の仕事。体感としては「半分ずつ」だと言います。


田村さんの朝は早く、冬であればまだまだ暗い時間帯に職場へ向かい、6時にはミーティングが始まります。牛舎に入るメンバーと短く打ち合わせをして、その日の流れを組み立てる。田村さん自身は、固定の作業に張り付くというより「手が足りないところへ入る」動き方です。
牛のコンディションを見ながら午前中が過ぎていき、午後も同じように状況に合わせて仕事を回していきます。こうして夕方16時、17時頃に業務が終了し、家へ帰宅するといういつもの流れ。
3月からは畑仕事が一気に増え、種まきや準備が始まり、夏は収穫が中心に。まもなくやってくる春から、どんどん本格始動していくのです。
面白さは「思い通りにならない」こと
仕事の魅力を聞くと、田村さんは少し困ったように笑いました。
「やりがいって、難しいですね(笑)」
それでも言葉を探しながら、こう続けます。
生き物が相手だから、自分たちが対策をして「こうなるはず」と思っても、100%はその通りにならない。だから難しい。でも、狙った変化が起きたときは、ちゃんと楽しい。牛の動きが良くなって、結果として乳量が増えたと実感できたときは、「面白い」と思える。
努力がそのまま成果に直結するわけではありません。そのシビアさも含めて、田村さんはこの仕事を語っていました。

「大変なことは?」
そう聞くと、田村さんはすぐに答えます。
「人ですね」
冗談っぽく笑いながらも、内容は真剣でした。
マネジメント側が「何のためにやっているか」「どうしていきたいか」。その意図をスタッフたちに伝えていかなければいけないのがマネージャーの使命。
いま現場を回している人たちが、ずっと同じ場所にいるわけではなく、いつか後輩を抱える日もくるかもしれません。だからこそ、役割を段階的に育てていきたい。現場をまとめる役割があり、その先にマネージャーがある。いつまでも“後輩のまま”ではいられない。後輩を育てる側になっていく必要があるからこそ、その体制をしっかりつくっていきたいと話します。
牛の健康を守る仕事は、仕組みと人が揃って、ようやく続きます。田村さんはこの牧場の先の未来までしっかり見つめていました。
「向いている人」は、技術より“言葉”を持てる人
「どんな人がえみんぐに向いていますか?」という問いに対し、田村さんは少し考えながら口を開きました。
会社という形で働く以上、人間関係が土台になる。ひとりで農家をやるのとは性質が違う。
その上で、続く人に共通するのは…
「なんでも話せる人。完璧じゃなくても、思ったことを言える人」
農業の経験があるかどうかより、コミュニケーションに前向きかどうか。技術ではなく、人としての相性。田村さんの答えは、現場の実感そのものでした。
「入って、実際にやってみないと分からない」
短期で判断できる仕事ではない。だからこそ、一定期間は腹を据えてやり切ってほしい。田村さんは「少なくとも3年は全力で」と、静かに背中を押しました。
最後に「この会社のいいところ」を聞くと
「小さな組織だからこそ、提案が通りやすい。やってみたいと言えば、耳を傾けてくれる。口に出したものが、形になりやすい」と教えてくださいました。
その言葉は、後半に登場する山﨑さんの話と、驚くほど重なっていきます。
会社を“支える”縁の下の力持ち
続いてお話を聞かせてくださったのは滝上町出身の山﨑里美さん。
高校卒業後に札幌へ出て、そこで10年ほど暮らしていたそうです。その後結婚、出産を経て、子どもを連れて地元へ戻ったのは、20代後半の頃だったといいます。

山﨑さんは、もともと教員免許を持ち学童保育所で勤めていました。保健室の先生の免許を持っている話をすると「そんな感じする!」と言われるタイプだそうです。実際に話していると、相手の言葉を急かさず受け止めてくれる包容力があり、だから山﨑さんがいる事務所に人が集まるのかもしれない…そう取材中にも感じました。
地元に戻ってからは、生活に合わせていろんな仕事を経験してきたと言います。ガソリンスタンド、保険、厨房の仕事、加工の仕事…。子どもは4人。それぞれが進路を持ち、挑戦をしている。息子さんはスキーで高校へ進み、競技の世界を走っているという話も出ました。「頑張る子を支えるには、現実的に稼がないとね」という言葉が、さらっと出てくる。その“母としての強さ”が、山﨑さんの輪郭をつくっている気がします。
つながっていた縁が背中を押した
農業に関わる仕事を本格的に始めたのは、この地に戻り、農協で働き始めた頃のこと。その場所で出会った人が、後にここ、株式会社えみんぐを立ち上げる田村社長です。
農協の中でもいろんなところへの異動を経験していた山﨑さん。それを追うように、どこへ異動しても、田村社長は顔を見せに来てくれたそうです。ふっと立ち寄って、何気ない会話をして、また帰っていく。そういう関係が続いていた。
えみんぐ立ち上げの話が動き始めたときも、声はかかっていました。けれど当時は、農協での安定もあり、簡単に踏み出せなかった。年収も違う、条件も違う…迷わないはずがありません。
しかしその後山﨑さんは体調を崩してしまいました。そんな時にもう一度「こっちへ来い」と言ってくれた人たちがいた…山﨑さんは、そのときの自分を「拾ってもらった」と表現します。
しかし転職するときの不安は当然ありました。
「自分にできるのかな」
「続くのかな」
さらには入社してからのギャップはありましたと山﨑さんは振り返ります。
株式会社えみんぐの立ち上げから携わっていたため、制度や前例が揃った組織に入るのではなく、ゼロから形をつくっていく。しかも、中心メンバーは現場ひと筋で生きてきた人たち。組織としての立ち振る舞い、経営者としての距離感、従業員への声のかけ方——そういう“会社の当たり前”を、いちから擦り合わせていく必要がありました。
そこには「正しさ」だけでは進めない場面がたくさんあったはずです。
山﨑さんの言葉からは、その時期を越えてきた人だけが持つ、静かな厚みが伝わってきました。
牛が怖い。でも、ここで働ける
山﨑さんの仕事は、会計・経理を軸にしながら、管理部門全般へ広がっています。人事労務、入社対応、採用の段取り。人が増えれば、書類が増える。誰かが出入りするだけで、やることが増える。
そして山﨑さんは、笑いながら言います。
「私、牛が怖いんです(笑)」

動物が得意ではない、だから牛舎には近づけない。酪農の会社にいるのに、それでも働ける…これは、牧場の仕事が「現場だけじゃない」ことを、ものすごく分かりやすく示してくれます。
山﨑さんは普通のオフィスの会社員と同じように、9時から17時までの勤務です。
出社すると、まず現場から集まってくる書類やカード類を整理する。出生や死亡、移動に関する情報。牛の転入・転出の登録。個体識別に関わる入力は、ミスがあると修正が必要になる。難しい作業ではなくても、責任が伴うため、確認作業も増えます。
やりがいを尋ねると、山﨑さんは少し照れたように笑いました。
達成感は「作業がまとまって終わった瞬間」。そのときは自分で自分を褒めるしかない、と。
ただ取材中、山﨑さんの言葉よりも先に、こちらが何度も目にしたものがあります。
それが「ありがとう」という言葉です。
誰かが何かをしてくれたら、必ず口にする。誰に対しても常に「ありがとう」とその想いを伝えていました。さらっと、当たり前のように。本人にとっては癖なのかもしれません。でも、その積み重ねが空気をつくっていくのだと、現場にいると分かります。
そんな山﨑さんが大事にしていること、それは「他人ごとにしない」ということ。
誰かの仕事は、誰かの仕事につながっている。
その意識が揃えば、仕事はもっとスムーズになり、結果として、みんなが笑顔でいられる。山﨑さんの課題意識は、いつも最後に“笑顔”へ帰っていきます。
口に出した想いが、形になる会社
前半の田村さんが語った「この会社の良さ」と、山﨑さんが感じている「この会社だから続いた理由」。
ふたりの言葉は、同じ場所に着地します。
小さな組織だからこそ、声が届く。
思ったことを口にしても、頭ごなしに否定されない。必要ならちゃんと考えてくれる。提案が形になりやすい。そういう“風通し”が、えみんぐにはあります。

採用や就農を考える人にとって、いちばん怖いのは「入ってみたら違ったらどうしよう」という不安かもしれません。
だから田村さんは「入ってみないと分からない」と言います。短期で判断できる仕事ではない、と。
山﨑さんは「出会いは運」だと言いながら、運は待つだけじゃなく、取りに行くものでもあると話します。インターンでも就職フェアでも、まずは足を運ぶ。喋る機会をつくる。そこからしか始まらない、と。
ふたりの話を聞いていると、働くことは“仕事内容”だけでは決まらないのだと分かります。
誰と、どんな空気の中で、どんな言葉が交わされているか。そこが、案外いちばん大きい。
えみんぐが掲げているのは、「良い牛乳と笑顔をつなぐ」という想い。そして、その先に見据えるのは「開拓200年へ」という長い時間です。
牛の健康を守るために設備を整えること。
草づくりを学び続けること。働く人がきちんと食べられるように、暮らしを守ること。
役割を担う人がいれば、次の世代へ渡していくこと。
田村さんが朝6時に段取りを組むのも、山﨑さんが朝9時に書類の山を片付けるのも、全部、その未来につながっていました。派手な言葉ではなく、毎日の積み重ねで、牧場の時間は前に進んでいく。
流氷のまちの冬は、たしかに厳しい。
でも、その寒さの中で、人の声があり、「ありがとう」があります。
そして、口に出した思いが、少しずつ形になっていく。
この場所で働くということは、牛舎の仕事だけではなく、誰かの笑顔をつなぎ直す仕事でもあるのです。
